目指したもの

必要な金銭を稼ごうとすることは、否定できない。
しかし、欲しい金銭には果てしがない。

これは大きなポイントだ。

たとえば、ひとのために役に立ちたいと医者を目指し、診療・治療をしていくうちに、その目的以外に金銭を追い求めすぎると、診療をせずに経営をしているひとがいる。
優れた人材を得て切り盛りし経営をしていくほうが結果としてベターな医療を提供できるのだと本当にそう言い切れるのだろうか。
もっと別の欲が出てきたからではないだろうか。逆に経営とはそんな医者あがり?の人が経営のプロの知恵や知識、技術に並ぶことができるものだろうか。

いい服を着ていいものを食べ、いい女を抱き…などという、それを幸せと思い、それを目標としてしまう人たちを否定するつもりはない。
ひとびとの生活の進歩にも寄与するところもあるだろう。
でも何か間違った時代だと感じてしまう。

いや、たとえば新しい発明をしたとする。もしくは、ひらめきがあり、新しい発明を具現化しようとしているとする。
そこには成し得たいという思いがあり、追求、探究心があるのは間違いない。
そのとき、ひとの中には金銭がちらついているのだろうか。
NHKの朝ドラでは、そういった金銭がちらついているようなシーンがあったなあ。

A.世の中ずっとそういうものですよ。
B.寂しい時代だ。
どっち?

そしてさらに、それを目指す人がもし、誰かの犠牲の上に成り立つようなことをしているのなら、それは間違いのように思ってしまう。私は、世間知らずのおひとよしなのだろうか。

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