ロスロス
政治という場では、たとえば「対案を出せ」というと、相手は出せないとモノが言えないと感じる。その感じさせられた人は既に相手のペースに巻き込まれているのだから、相手に勝てない。「対案を出せ」といった、まるでもっともらしいことを言う側がコントロールする力をもち、出さないとと考えた側は、コントロールする能力に劣る。
非常に単純だと思う。
場面を展開させるという点では、やはり小泉純一郎はずば抜けて上手く感じた。中身はさておいて。
広告代理店を使い、人々を操る手法やシナリオを考えさせたのは、小泉氏の能力ともいえる。嫌いだが。
国民をコントロールするのは、あべ氏では無理。いかにおとなしい骨抜きにされている国民でも様々な動きが出てくる。しかし、それはいわば環境に過ぎない。コントロールする能力をもつ小池みたいなのが活躍すると、ひとたまりもない。
小池の中身は、反原発なんて嘘をついてるので、結局はあべと大差ない。つまり、最悪と極悪の戦。
国民のためを思って政治なんてしていない。
未来の様は、1974年、ブレードランナーで描かれた、格差社会のそれから全くずれていない。
私達の必要とするものは、いったいなんだ?
正義の味方なんて、出てこないのかな。